おざわゆき先生の
「凍りの掌 シベリア抑留記」を読みました。
これは作者の父が昔体験したことを元に描かれた話です。
父の身に実際に起こった話ばかりです。
それはどんな戦争関連の記録よりも異質なものでした。
戦争が生み出す、
戦地で人と人が戦う恐ろしさ…とは全く違う恐怖…
「絶望」という名の恐怖。
未来というものが真っ黒に塗りつぶされる様な
果てしない「絶望」。
今から七十年前、シベリアの地で十九歳の父は恐怖の淵を覗いたのです。
シベリア抑留によって人生が変わってしまった若者達の物語。
「凍りの掌 シベリア抑留記」で検索して下さいね。
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凍りの掌 シベリア抑留記 のあらすじ
話は出征するところから始まります。
とても丁寧でわかりやすい心理描写が
なされていると思います。
どちらかというとほのぼのタッチの絵が
かえって読者の想像に訴えかけてくるものがあります。
昭和十八年の東京、
東洋大学の予科の学生だった小澤昌一は
本郷の下宿で暮らしていました。
夜は灯火管制で本もろくに読めません。
「おかわりは無いんです」
…コレが下宿屋さんの口ぐせでした。
戦争激化に伴い学生も勤労動員にかりだされ、
学徒の兵役猶予な無くなった頃、
しかしどんなに長引く戦争に疲弊しようと
まだどこかに救いはあったのだと言います。
魂は業火に焼かれることは無かった…
あのあまりに強烈な体験をするまでは。。。
昭和二十年一月末、
臨時召集令状が届き
故郷の名古屋から父親が迎えに来ます。
出征に際し彼は「武運長久」の文字を背負っても
日々の心の準備など形ばかりのものと悟るのです。
昨日まであの学徒の群れの見送りだったばずの自分…、
彼らの後を追う事をいまだ現実として受け入れられない自分。。。
そして入隊・訓練からわずか二週間で異動命令、
それは戦線に向かう事を意味していました。
行く先もわからないまま列車に乗せられ博多へ。
そして船で釜山へ。
そこからまた列車で奉天・新京・ハルビンを過ぎさらに北上。
二月二十日、
北満州孫呉に到着します。
そこはまゆ毛が凍り、
素手で取っ手をつかんだら皮が剥けるという、
冬の気温はマイナス三十度を記録する極寒の地でした。
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凍りの掌 シベリア抑留記 のネタバレと感想
実弾を撃った経験も無い
こころもとない状態の初年兵、
訓練では無駄に出来る弾など無かったのです。
糧秣庫の番をし二カ月後に
在満の古年兵が戻ってきます。
軍隊の上の者はやりたい放題で、
下にいた時やられた事を上にいって同じ様にやるのです、
それはまるで仕返しでした。
この先にシベリア抑留が待っているわけですが、
1巻ではここまで。
作者は言います、
作品のためという前提で聞いているけど、
それがいいのか悪いのか今も本当の所はわからない…と。
六十年近く封印していたものを開けてはいけない様な、
聞いてはいけないような気がしていたから…。
…思い出せない…と言っていた父が、
それでも話す事で少しずつ思い出してきていることもあり、
私たちにはそれを知り忘れてはいけないような気もします。
どこまで続いているのかわからない、
どこに着くのかもわからない、
そういう状態で歩かされ連れていかれたシベリア。
夏服のまま…。
生気の無い、
虚ろな目をしこけた頬の青白い顔、
表紙の画からはものすごくツメタイものが背筋に走るように感じられました。
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凍りの掌 シベリア抑留記 まとめ
想像を絶する極限状態の記憶…。
「凍りの掌 シベリア抑留記」は6巻で完結しています。
「凍りの掌 シベリア抑留記」は
一読の価値と義務を感じるような作品でした!
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